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仏像が語りかける諸事

カテゴリ: 雑記

木の枝や端材を使って彫像される仏像を木っ端仏というそうです。

今日は地蔵菩薩の木っ端仏の特別展示会があるということで見に行ってきました。

断崖にある某寺の地蔵堂の調査を行い、その結果として

  • 明治期の大火より前に奉納された日付が入った木っ端仏がある(=地蔵堂が大火の焼滅を免れていることの物証)
  • 昭和初期に奉納された木っ端仏がある(=その頃まで信仰が続いていた)

といった点が新たに分かり、その調査記念として行われたのが今回の展示会だそうです。

説明を聞く前と聞いた後で全く違うものに見えるのがこういった展示の面白いところです。

知識と連想、想像を駆使して目の前にあるモノの背景を探る思考の探求というのは、人間の醍醐味だと個人的には思います。

 

ここで「奉納された」といったのは、このお地蔵様は「地蔵堂で願掛けを行って一体お地蔵様を借りて、成就したら二体にして返す」という信仰がされていたためです。

奉納された数が多いということは、願い事がよく叶ったということの表れであり、信仰を集めたようです。

お地蔵様なので、特に安産や育児といった子供に関わる願い事が多かったと考えられます。

ただ、問題は地蔵堂の場所。ただでさえ深山のお寺の、その断崖の中腹にある御堂とのことで。

専ら修行が行われていたお寺(下手したらかつては女人禁制だった)の境内に、女性が参拝に訪れて断崖を登って地蔵堂で祈願したという、お寺の二面性を示すものとしても興味深い資料とのこと。

 

こうした展示会を行うことで面白いことは、地元の方が訪れて新しい証言がぽこぽこ出てくること。

「昔はこんなこともあったんだよ」「自分が子供の頃は境内のある御堂の近くにたくさん板碑があったから、たぶんその周辺に今も何か埋もれてるんじゃないか?」

そうして新しい情報が過去の情報と結び付き、新しい仮説や調査のヒントになることもある。

一方で、「今はもういらっしゃらないけどとある方がこんなことを言っていた」という話も出てくる。

ある出来事を知る人の記憶がなくなる前に記録しなければ、それはもしかしたら永遠に失われる情報になるかもしれない。

しかも、そうした証言の多くはご高齢の方から出てくる昨今。

郷土史や民俗の厳しい現実を目の当たりにした一日でもありました。

人の記憶を、記録へ。次の世代に語り継ぐ。

それによってモノの価値や重要性が分かるので、モノだけでは不完全。そのモノにまつわる由緒、情報があって初めて色々なことが見えてくる。

 

ちょっと今風?に言えば「暗黙知を見える化して知的財産として蓄積し、共有する」ということでしょうかね。その必要性を改めて考えさせられました。

 

 

しかし、今週は濃い土日でしたね。昨日はWordCamp Tokyo 2015、今日は全然別分野のこれですよ。いやはや。

タグ: 探訪, 美術館・博物館, 随想

 



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